執着と執念の違い



そこで、「執着」と「執念」の違いについて
知っていますか?

執着とは、過去に縛られること。
執念とは、未来に向かう情熱のこと。


もっというと、
執着は、失いたくない、手放したくないという
後ろめたい過去に引っ張られている状態です。


心が過去に捕らわれており、
自分のプラスなエネルギーが停滞しているんですね。

逆に執念は、達成したい目標のために、
エネルギーを燃やし続ける力のこと。

拘りではなく「拘り抜く力=GRID力」なんですね。
要は、未来への強い意志がある状態です。


これをもう少し簡単にいうと、
執着とは自分のことしか考えていない状態です。
自己中心的な発想で、成長するどころか退化してきます。

逆に執念は、相手が喜ぶことに繋がることです。
相手目線に立って、相手の状況把握をしたうえで、
未来について拘り抜くことです。


僕は、今まで執着がすごくありました。

相手が求めてないのに、
僕の都合だけで推し進めていました。

最初は相手も無理できるのでついてきますが、
それを継続すると続かないことがわかりました。
(当たり前の話ですが、、、w

相手が言ったからそれに対して本気で向き合う。
でも、相手が言ったことは僕が思ってるより
本気ではない、表面的にいってることが多いことが
わかりました。

自分もそんな経験をよくするのでわかります。

だからこそ、本気のスイッチを押してあげる。

本気のスイッチは、僕が本気で本音で関わることだけではなく、
いろいろな角度からアプローチする必要があることが
わかりました。

その本気のスイッチを入れるアプローチは、
もっと自分の中でレパートリーを増やして
いきたいです。

しかし、共通しているのは、
「僕の考えや想いを伝えること」は
必ずした方がよいということです。

最近このことに気づきました。

今日も、
「この人、なんか違うな~」とか
「この人、本気じゃないな」って
思うことがたくさんありました。

でも、他人は変えられない。

だから、自分が背中を見せていく必要があるんだと思いました。
そこについてくる人はついてくる。

そして、今日もたくさん感じましたが、
実家暮らしの人って、
やってもらって当たり前の環境なので、
正直節々にでてるんですね。

だからこそ、自分では気づいてるけど、
気づいてないふりをして
自分の心に蓋をして
表面的な楽しさで向き合うおうとしない。
実家暮らしの人にはそんな人が多いように思いました。

そんなことを言いながら、
僕自身も自分では気づいてるけど、
心がきついから気づいてないふりをすることが
あります。

お世話になっている人たちも、
僕のことを同じように思っているときが
あるんだろうなと思います。

でも、お世話になっている人は、
僕を絶対に見捨なかったです。

常に人としてのアドバイスをしていただいたり、
僕に伝わるように工夫して伝えてくださったり、
僕にプラスな言葉をかけてくださっています。

そんな素敵な人たちに出会えたからこそ、
僕もそんな素敵な人になりたいと思いました。

自分の本音をいうことも大切ですが、
一番は相手が喜ぶことをしていくこと。


それが本音ばかりではなく、
ときには生ぬるい言葉だったりするかもしれません。

でも、そっちの方が伝わってものごとが前に進むなら、
その方がよいと思いました。



これまで、誰もついてきませんでした。
離れていくばっかり。

他にも、たくさん原因があると思いますが、
自分にグループはつくれてもチームが作れない
理由の一つがわかりました。

執着になってたからだったんですね。

相手が喜ぶことをすること。
相手にベクトルを向けるのではなく、
自分が成長すること。

そこに焦点を当てて、今日も関わっていきます。

だんだん、自分の心内を伝えることができてきました。
今までは自分の心内を伝えることで、手一杯でしたが、
支えていただいてる方々のおかげでできはじめました。

これからは、相手の喜ぶことをできる自分になれるよう
自分を変化させていきます。

END

投稿者: 出口雅之

楽しい働き方を体現したい人へ「学びと知識」を発信。小中高と11年間、選手として青春の全てをサッカーに。前十字靭帯断裂をきに大学時代は志導者の道へ。学生時代、遊ぶことの楽しさが分からず、就活でリペイント/ABAYに参加で自分と向き合う。現在、人材大手/サッカー志導者を継続し、日々の学びを発信。「心からの笑顔」を増やしたい

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